潜在意識の書き換えと「ただ観る」ことの違い

悩みや苦しさを感じたとき、私たちは、その原因を探して、何とかしようとします。

誰かとの関係に問題があれば、相手との関わり方を変えようとする。


自分の内側に原因があると考えれば、過去の記憶や心の傷を癒やそうとする。


どちらも、苦しさをなくし、より良い状態になろうとする自然な働きです。


スピリチュアルな世界では、潜在意識にある記憶や思い込みが、現在の現実に影響していると考え、それらを浄化したり、解放したりするアプローチもあります。


では、そうした原因を探し、取り除こうとすることとは違う見方があるとしたら、どうでしょうか。

原因を探し、変えようとする

不安や怒り、嫉妬などの感情が生じると、私たちはその理由を考えます。


なぜ、こんな気持ちになるのだろう。

過去に何か原因があるのだろうか。

どうすれば、この感情をなくせるのだろう。


そうして原因を探し、理解し、解決しようとします。


もちろん、現実に対処することが必要な場合もあります。自分の行動を振り返ることや、過去の経験を理解することが役立つこともあるでしょう。


ただ、原因を探し続けることが、いつの間にか新たな悩みになってしまうこともあります。


苦しさをなくそうとするほど、苦しさに意識が向き続ける。


そんなことはないでしょうか。

内側にあるものを浄化する

スピリチュアルなアプローチでは、目の前の問題の原因を、自分の内側にある記憶や思い込みに求めることがあります。


その記憶を癒やし、感情を解放し、内側を浄化することで、現実も変わっていくという考え方です。


こうした取り組みによって、気持ちが楽になることもあるでしょう。


しかし、ここで少し立ち止まってみます。


今ある苦しさは、本当に何かを取り除かなければならないものなのでしょうか。


苦しさが生じていることと、それをなくさなければならないと考えることは、同じでしょうか。

ただ観るということ

ここで、原因を探したり、何かを変えようとしたりする代わりに、今起きていることに気づいてみます。


不安がある。

怒りがある。

嫉妬がある。


それらを否定せず、無理に受け入れようとすることもなく、ただ、そのような感情が生じていることに気づいている。


何かを解決しようとする前に、まず、今ここにあるものを観るのです。


すると、感情そのものと、それについて考え続けることが、必ずしも同じではないことに気づくかもしれません。


感情がすぐに消えるとは限りません。


状況が変わるとも限りません。


それでも、感情をなくさなければならないという思いから、少し離れることはあるでしょう。

何かを変えなくても、すでにあるもの

私たちは、今の自分には何かが足りないと感じると、それを補おうとします。


もっと理解しなければ。
もっと成長しなければ。
もっと浄化しなければ。
もっと自由にならなければ。


そうして、より良い自分を目指します。


けれども、真の自己の発見という視点から見ると、何かを新しく獲得することとは別の方向があります。


思考や感情、さまざまな体験は、絶えず変化しています。


では、それらの変化に気づいているものはどうでしょうか。


思考の内容を変えることでも、特別な体験を得ることでもなく、今ここで起きていることに気づいているものへと目を向ける。


そこには、何かを変えたり、獲得したりすることとは異なる探究があります。

最後に

潜在意識を書き換える、浄化することが間違っている、という話ではありません。


原因を探すことも、現実に対処することも、必要な場合があります。


ただ、それとは別に、何かを変えようとする前に、今起きていることをそのまま観るという方向もあります。


苦しさが生じたとき、それをなくそうとするのではなく、まず、その苦しさに気づいている。


そのとき、何が見えてくるでしょうか?


自在では、瞑想、対話、「ただ観る」ということを通して、真の自己と、すでにここにある自由や平安に目を向けていきます。


「ただ観る」とは、具体的にどういうことなのでしょうか。日常で生じる思考や感情を例に、こちらの記事で説明しています。

→ ただ観るとはどういうこと?思考や感情との向き合い方