ある時、ふと、もし名前がなかったら?と思いました。
私の名前は木口宏介です。
もし名前がなかったらと想像すると、
空白のスペース、何もない感覚になりました。
名前は、この個人を表すための呼び名ですが、いつの間にか「私」そのもののようになっています。
そして名前には、性格や経歴、「私はこういう人間だ」という、さまざまな自己認識が結びついているように思います。
名前がないと想像した瞬間、
「私」という感覚が抜けたようになります。
自己紹介をするとき、自分の名前を言います。
名前を記入するとき、自分の名前を書きます。
「あなたは誰ですか?」と問われれば、
「私は木口宏介です」と答えます。
そもそも、生まれたときから、名前(愛称も含めて)で呼ばれているため、いつの間にか、自分と名前が一体化しているのかもしれません。
名前は本来、個人を識別するためのラベルにすぎません。
けれども、それが単なる記号を超えて、「私」という感覚と結びついているように感じます。
「私」という感覚は、何によって成り立っているのでしょうか?
私の場合は、それは、性格、過去の経験、目標、現状などに由来する、「私はこういう人間だ」という思考なのかなと思います。
名前を取り除いてみることで、普段感じている「私感覚」が抜け、何もない、ただ在るような感覚になります。
これは、私の感覚です。
皆さんは、もし名前がないと想像すると、どんな感覚になるでしょうか。
See you as you are.