ふと、湧いてきた問い。
分からない。
ただ、この分からなさに目を向けていました。
すると、 空白のスペースの感覚、ただ在る感覚になりました。
普段、私たちは、何かあると、その原因や理由を探します。
でも、存在そのものについては、原因や理由を探そうとしても、その存在の外側に出ることができません。
理由が分からなくても、私は存在している。
このスペース、ただ在る感覚は、特別な感覚も神秘性もない。
ごく自然な感覚。
普段の生活では、仕事や収入、人間関係、将来のことなど、日々の出来事に大きな意味や重要性を感じています。
何とかしようと考えたり、希望を持ったり、不安になったり。
その渦中にいると、それらが自分のすべてのように感じられる。
でも、そこから一歩引いて、自分の存在そのものに立ち返ると、見え方が変わる。
人生を眺めているような感じで、仕事も希望も悩みも、ただ起きているように見える。
日常のモード、日々の活動に巻き込まれている状態も、ただ存在していることを土台に起きている。
どちらが本当で、どちらが偽物ということではない。
日常のモードに戻ることも、ただ在ることから離れているわけではない。
存在そのものが変わったわけではない。
変わっているのは、注意の向きや立ち位置。
日常のモードでは、仕事や生活、希望、不安など、現れている内容に注意が向いている。
ただ在る視点では、それらも含めて、すべてがただ現れているように見える。
同じ人生なのに、立ち位置が変わると、重要性や意味合いまで変わってくる。
そして、さらに見つめてみると、
生活に夢中になっているときも、俯瞰しているときも、
立ち位置がどちらであっても、そこには変わらずに在るものがあります。
怒りや不安、希望や欲求がなくなる必要もない。
それらが現れる人生と、ただ在ることは対立していない。
自在|真の自己の発見と自由
自在では、瞑想、対話、「ただ観る」ことを通して、真の自己と、すでにここにある自由や平安に目を向けていきます。
思考や感情を変えようとするのではなく、それらに気づいていることに目を向ける。
何かを新しく獲得するのではなく、今ここにあるものに気づいていく。
鎌倉またはオンラインでのワークショップや個人セッションを通して、こうした探究を深める場を提供しています。
自分自身を見つめてみたい方へ